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ひとひろ

日常より、もう少し深いところへ。ひびのこと、たびのこと、ならのことを綴ります。

李徴になるのはもうやめます

こんばんは、ゆのじです。
今日は少しゆのじの弱虫マインドについて、書いてみます。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心

高校で初めて山月記を読んだ時、衝撃が走ったのを今でも覚えています。
「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」
内容はおぼろげでも、この言葉は覚えている、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
才能の有無に悩み苦しみ、発狂して虎になってしまう李徴。
そんな彼の独白があまりにもリアルなお話です。
「才能があるのだ」という矜持と「才能がないことを知るのが怖い」という恐怖と。
私自身にも最近、自分の中の李徴を暴かれる出来事がありました。

 

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元来、プレッシャーに激弱です。
環境が変化する、人生の節目では必ず不調をきたしてきました。
ひよっこ社会人は、学生の頃のようにはうまく適応できず、悩む日々が続いていました。
そんな凝り固まった何かを、尊敬する上司の言葉に砕かれました。

「自分の基準を高く持ちすぎているから、そのギャップに苦しむ」
「自分が大した人間じゃないってことを知っていれば、少しずつ成長できる」

お恥ずかしい限りです。正直べっこべこに凹みました。笑
私は変に卑屈なふりをして、そのくせ臆病な自尊心だけを飼い育ててきたのです。
そりゃあしんどいよなぁ、と。
常に”いい子”であるよう心がけてきたことも影響しているのでしょうか。
とにもかくにも、私の中の李徴はもう、虎になりかけていました。
だから、李徴を手放したいと思います。

落ち着いて、良いマイペースを目指す

私事ですが、上司と色々話して、職場の中での立ち位置も少し変わることになりました。
まだ李徴の名残に苦しむこともありますが、これからは自分の仕事をできるように邁進したいと思います。
当面の目標は、タスクの管理をできるようになること。
そして、抱え込みすぎないようにすることです。
「きっとできる」という臆病な自尊心と、「できないと思われるのはだめだ」という尊大な羞恥心にはさようならをしたいと思います。
やるっきゃない、だから、頑張りすぎないように頑張ります。

たくさん泣いたあの日は無駄じゃないはず!

天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易すい内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。 

中島敦 山月記

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