ひとひろ

日常より、もう少し深いところへ。ひびのこと、たびのこと、ならのことを綴ります。

ひとひろ

*一生好きなこと、一抹の不安なこと

この間、とある展示室を訪れた。
それは奈良にまつわるとても素敵な展示で、眺めていてわくわくするものだった。
でもひとりで順路を歩いていて、気が付いてしまったのだ。
自分の「読み取る力」や「考える力」が恐ろしいほどに低下していることに。

文字が、ばらばらと地面に落ちていくような気がした。

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自分でいうのもなんだが、私は記憶力がよい方だ。
とはいっても、勉強がよくできるわけではない。
長けているのは「シチュエーションごと記憶する」ことだけ。
ここで誰とどんな話をした、という情報だけまるごと覚えている。
(よく夫との昔のデートの状況をそらんじては驚かれる)

試験勉強をするときは、教科書の内容を自分でノートにまとめなおしていた。
ノートのどこに自分が何を書いたかを覚えて、試験に臨むのだ。
恐ろしく効率が悪いが、意外とそうやって覚えたことは、今もまだ記憶の片隅に残っていたりする。

一転して、大学生になってからの勉強は考えるものばかりで大変だった。
幸いにして、どんな考え方をしても批判されるような環境ではなかったから、私はのびのびと学生生活を送ることができたと思う。
そんな伸び盛りのときに、奈良と出会うきっかけを得たのは本当に幸運だった。

私は、奈良が好き。
おそらくこれからも変わらないし、ずっとずっと。
「趣味の対象として最高じゃない?」なんて話したりもする。
きっと、一生好き、なのだろう。
だからもっと色々なことを知りたいし、学びたい。
――そして、冒頭の、地に散らばった文字たちに、立ち戻る。

***

奈良について学びたいと思った。
好きだから、もっともっと知りたいと思っている。
でもなんだか、覚えられないのだ。
体験した数々のことは、鮮やかに残っているのだけれど。
そのとき学んだ情報が、昔のように残ることがなくなった。
一生好きでいたいのに。
空回りして、経験を重ねても何も残らない、薄っぺらい人間になってしまいそうで。
一抹の不安が、展示室で感じたままに、喉の奥につかえている。

おそらく原因は、手に握って離さない小さな端末のような気がしていて。
これがあればたくさんの情報とつながることができる。
私の夢を膨らませてくれる素敵なアイテムでもある。
でも、ずっと小さなアイコンをタップしては閉じ、また開いては閉じと繰り返すことで、時間も記憶も費やしてしまっているのは間違いない。
限りある人生なのだから、一生好きでいるなら、奈良にもっと向き合いたい。

矛盾するけれど、こうしてブログを書いて、アウトプットするのはとてもよい整理になっている。
なにごとも、バランスよく。
インプットとアウトプットの釣り合いをとれるように。
歳を重ねるごとに、深みを増していけるようになりたい。
「尋」は深さの単位なのだから。

奈良への愛を叫んでいるけれど、歴史や文化に限らず、土地の持つ空気感をまるっと好きなのだ。
そんな言い訳で逃げないで、ちゃんと勉強しようと思う。
さて、何から始めようかなあ。

ゆのじ